藤原神涼 能力の成長と発展
■中学生時代
ヒーリングや占い・パワーストーンに興味を持ち始めます。
パワーストーンのバイブレーションや波動を感じることができるようになり、
色んな本を読み、なぜか読んだものはできる、という自覚があった。
今でこそ占い・パワーストーンなんて当たり前の響きですが、
石を持っているだけで怪しい目で見られる時代でした。
ちなみに当時の夢は平凡なサラリーマン。または市役所の公務員。
■高校時代
ある能力者に出会い、劇的な変化を遂げます。
床に何人も寝かせ、一気に治療するという能力の方の治療を見て、
それを受けた瞬間、コレならできるかも、と何故か実感。(エネルギーの開眼)
親しい仲の友人だけに試したところ成功したのです。
その他にもエネルギーを感じる、ということができるようになり、
友人にも使わせうるということができるようになった。(伝授の始まり)
この頃、エネルギーの酷使で手足に異変が起こります。皮膚が紫になり、象のように硬質化した。
家族には能力について話していなかったので心配されて病院に。自分では原因はわかっていたが。
親指の付け根を1cmほど彫刻刀のようなもので繰り抜かれ・手足の写真を取られた。
医者いわくこのような症状は見たことがない。原因は不明、悪い点は見当たらない、と。
しばらく休めていたら治りました。ちなみにこの頃の夢は保育士。
■大学時代
母が首のヘルニアにかかり、病院では手術をしても失敗したら死亡、
成功してもまたしばらくしたら再発する、と言われた。
そのとき、初めて自分の能力について打ち明け、治療に入って1ヶ月ほどでヘルニアは消えていた。
そこから口コミで広まり、何人もの人を癒すようになった。
このころ各種気功・エネルギーを調べ、オステオパシー・整体カイロの基本も学んだ。
レイキに触れ、気功を見て、その他色々なエネルギー療法を見たが、どれも自分のものとは違った。
そんな時、母から祖祖父の話を聞く。
密教者で、修行をしていて人を治療したり事件を解決して新聞に載ったこともあったそうだ。
さらに沢山の本が残っていると。このとき出てきた書物より藤原家・各務流・仙氣を命名した。
各務神涼所として本格始動。
■就職〜現在
上場企業に就職。休日はできる限り「癒し」の仕事を対応。
そんな中、ある夢での気付き・人との出会いより「伝授」が確立。
少しでも安くこの能力を提供できるように開発・開業の決意。
ここに藤原家各務流仙氣と藤原神涼が完成した。